第1話 エコーとナルキッソスの科学

ゼウスは人間の女と交わるために、妻ヘラの注意をそらしたくなる時があります。そんな時は「エコー」というお喋りなニンフ(妖精)の出番でした。

ゼウス:「私は所用で人間界へ行ってくる。ヘラの注意をそらすために、何かしら会話を続けていてくれ。」

エコー:「何を話せばよいのですか?」

ゼウス:「何でもいい。何も思い浮かばなかったら、とりあえずヘラが言ったことを繰り返すだけでも大丈夫だ。」

エコー:「それならお安い御用です。」

ヘラが「おはよう」と言えばエコーも「おはよう」と言い、ヘラが「ゼウスは今日も浮気だ」と言えばエコーも「ゼウスは今日も浮気だ」と言います。

ある日ヘラは真相に気付きました。エコーはゼウスの浮気のための時間稼ぎをしているのだ。激しい屈辱と嫉妬。復讐の刃の矛先は、ゼウスではなくエコーへ向かいました。

ヘラ:「この小娘が!そうやって永遠に他人の言葉を繰り返すがいい!」

ヘラの呪いによって、エコーは、普通に会話をする力を奪われ、相手が発した言葉の末尾を繰り返すことしかできなくなってしまいました。

後日、エコーは、森をさまよっていた時に、ナルキッソスという美青年をみつけました。話しかけたいと思いましたが、呪いのせいで言葉を発することができません。ナルキッソスが何か喋ればエコーも声は出せますが、その場合も末尾を繰り返すことしかできません。

ナルキッソス:「何だ、お前は。」

エコー:「何だ、お前は。」

ナルキッソス:「変なやつだな。あっちへ行け!」

エコー:「あっちへ行け!」

これでは進展するはずもありません。それどころかナルキッソスから煙たがられる一方です。エコーは日に日に弱っていきました。だんだんやつれて身が細くなり、最後には実体が無くなって音だけになってしまいました。その結果、姿は見えず、近くで鳴った音を繰り返すだけの存在となりました。

これがエコーです。

もちろん、エコーとは「こだま」「やまびこ」「反響」であり、物理現象です。しかし、物理学が発展する前の時代を生きた古代ギリシャ人は、樹木に住みついている姿の見えない妖精「こだま(漢字では「木霊」と書く)」の仕業だと考えました。

古代ギリシャ人は、科学の代わりに、このようなストーリーを付けることで自然現象の原理を説明したのです。

↑Placido Costanzi「ナルキッソスとエコー」18世紀
自分から話しかけられないエコー
↑Alexandre Cabanel「エコー」1874年 メトロポリタン美術館
聴こえた音を繰り返してしまうので耳をふさぐエコー

第2話 エコーとナルキッソスの心理学

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