プロメテウスと人間への制裁として、ゼウスは人間界から火を取り上げました。
しかしプロメテウスがゼウスから火を盗んで人間に返したので、人間は火のある生活を取り戻しました。
またしても反抗したプロメテウスに、ゼウスは更なる罰を与えます。
「火」以上に人類の生活を変化させ、時には災いとなりうる力。
ゼウスが考えた罰は「女」でした。
ギリシャ神話では、太古の昔は人間には男しかいなくて、ある時から女が加わったと考えられていました。女がどうやって生まれたか語られます。
技術の神ヘパイストスは、泥をこねて、オリュンポスの女神たちの体を参考にして、魅力的な顔とスタイルの女を作りました。
美と性愛の女神アフロディーテは、ヘパイストスが作った女に、女としての魅力や色気を注入しました。
機織りの女神アテネは、既に最高レベルになっている女に、更に魅力的に映えるような服を着せました。
仕上げに、ヘルメスは、泥棒の習性と不誠実な心を注入しました。そして「全ての神々が協力して作った、全ての性質を備えた贈り物だから、パンドラと名付けよう。」と言い、満場一致で決まりました。
「パン」は「全て」、「ドラ」は「贈り物」という意味です。
こうして、人間を罰するための最終兵器、「パンドラ」が完成しました。
人類で最初の女は、神々からの贈り物でした。
しかし、必ずしも善意の贈り物ではありませんでした。
パンドラの神話から、古代ギリシャ人の人間観・女性観が見えてきます。
ゼウス、そして神々からの「善意」に満ちた贈り物、「パンドラ」が人間界にやってきました。
目的は、思い上がった人間とプロメテウスを罰することです。
パンドラは、人間界を訪れていた神エピメテウスの家へ向かいました。
エピメテウスはプロメテウスの弟です。
「プロ」は「プロローグ」などの「プロ」で、「プロメテウス」が「先に考える者」であるのに対し、「エピ」は「エピローグ」の「エピ」で、「後で」という意味です。「メテウス」は「考える者」なので、「エピメテウス」は「後で考える人」となります。
この名前の通り、エピメテウスは、後先を考えずに行動し、後になって過ちに気付きます。
先に考える人であるプロメテウスは、あらかじめ「ゼウスには気をつけろ。ゼウスからの贈り物は決して受け取ってはいけない。」とエピメテウスに忠告していました。しかし、エピメテウスは、パンドラの誘惑に負けて彼女を家に招き入れてしまいました。
パンドラ:「はじめまして!ゼウスからの贈り物、パンドラです!」
神々が総力を結集して造った最高に魅力的な女。しかし彼女の魅力も美しさも罠でした。
2人はエピメテウスの家で暮らし始めました。ある日、パンドラは、やけに厳重にしまってある箱をみつけました。
パンドラ:「エピメテウス、あの箱は何?何が入ってるの?」
エピメテウス:「さあ。中身は分からないけど、前からこの家にあって、『何があっても絶対に開けてはいけない』って言われてる。」
パンドラは、この箱が気になって仕方がなくなりました。そして、エピメテウスが出かけたすきに開けてしまいました。ヘルメスが注入した「泥棒の習性と不誠実な心」がここで効果を発揮しました。
パンドラが箱を開けると、箱の中から、「疫病」「戦争」「貧困」「農作物の不作」などのあらゆる種類の災いや、「疑い」「恐れ」「不安」などの負の感情が四方八方へ飛び出しました。そしてエピメテウスの家を出て、人間の世界をすみずみまで駆け巡りました。
やばい!と思ってあわててフタを閉じたところ、一つだけ箱の底に残っているものがありました。それは「希望」でした。
こうして、人間の世界は災いに満ち溢れることとなりましたが、それでも人間は希望を持って生きていけるようになりました。
これが有名な「パンドラの箱」のお話です。
「希望」だけが残ったことをどう解釈するかは人によるでしょう。現代人が語ると、希望の大切さやストーリーの結末に焦点が当てられる傾向があります。古代ギリシャにおいては、神々が人間に与えた罰という意味合いが強調されることがあります。
語り手の解釈や時代によって物語の様相も変わってきますが、古代ギリシャ人の考えた脚本は素晴らしいと言えるでしょう。何千年も経った現代でも新鮮です。
ギリシャ神話は浮気や復讐の話が多いですが、このパンドラの箱やカサンドラの予言のように、あっぱれなストーリーの宝庫でもあります。現代の脚本やネーミングでもモチーフとして多用されます。